福岡県出身で東京を拠点として
活躍を続けている
お笑いタレントのカンニング竹山さん。
福島を遊び、楽しみ、味わいながら
福島のことを発信して
応援することを続けています。
私の恩人であり師であり友である
大好きな方です。
そんなカンニング竹山さんとの
出会いと
思いをまとめてみました。
福島で生まれ育ちながらも
故郷のために、何もすることができない、
何の力もないのだと感じていた私は、
カンニング竹山さんとの初めての出会いから、
人柄と思いに魅了されて、
福島を応援する人の応援をするという
些細なことを続けていこうと決めました。
カンニング竹山さんと
初めて出会ったのは2018年11月でした。
未曾有の災害となった東北大震災の翌年から
母がひとりで営むことをはじめた
福島県福島市にある屋台居酒屋です。
憧れと理想だけを大きく膨らませ
奥さんの反対にも耳を貸さず一念発起。
起業をして間もない頃でした。
当時私は、
週末になると、1時間30分ほど車を走らせ
母が営む屋台居酒屋へ
手伝いに行っていました。
当時の私は、
思い通りにならない日々の中で
自惚れと努力不足を棚に上げて
身勝手な日々の不安と
挫折感に苛まれる日々でした。
肌寒くなっていた11月のある週末。
8席ほどのカウンターだけの小さな店。
すれ違うことも難しい狭い店内の調理場で、
いつものごとく皿洗いをしていると、
ガラス張りの格子戸をガラガラと音を立て
入ってきたおしゃれな中年男性。
そこには、
テレビでいつも目にしている
芸能人のカンニング竹山さんの
姿がありました。
キャップを被りカジュアルな服装で立っている
カンニング竹山さん。
「あっ、どうも」
と何度も顔を合わせている
常連さんかのように
失礼なほど軽い挨拶をしてしまったことは
今も忘れません。
来店した目的は、
それまでに福島へ通い続けていた日々を
1冊の本にするためということでした。
震災後から福島へ通うことを
続けていたカンニング竹山さんは、
多くのことを体感しながら、
さまざまな人たちと触れ合い
福島のことを伝えたいという
思いが強くなっていったということでした。
店内にいた常連さんたちと
気さくに会話をはじめた
カンニング竹山さん。
福島で生活する人たちが
感じている思いや福島の実情などに
親身になって耳を傾ける姿がありました。
調理場の隅からカウンター越しに、
そんな姿を目にしながら、
纏う空気がとてもやさしい方だなぁ。
と感じていました。
それまでに抱いていたイメージは、
大きな声で叫び喚き散らすおじさんで、
ちょっと苦手だな。
というものでした。
ですが、
実際に肌で感じることができた印象は
まったく別なものでした。
そんな夜から月日が流れ
福島での取材を経てまとめられた著書
「福島のことなんて、
誰もしらねぇじゃねぇかよ!」
の出版前だった2019年3月の週末。
出版前の挨拶ということで再び
カンニング竹山さんが来店されました。
初めての出会いから数か月、
肌で感じた人柄に魅了されて
すっかりとファンになっていた私は、
カンニング竹山さんの芸能活動、各種SNS、
記事などを、見漁りながら、読み漁りながら、
思いを馳せていました。
その日は、
スタッフの皆さん、常連さんたちと
福島の料理を食べながら福島の酒を呑み
心から楽しみ談笑している様子でした。
狭い店内で同じ時を過ごせているという現実に
とまどいながらも胸は躍っていました。
帰り際に2人で談笑することができました。
なぜ、福島へ通うのか。
福島でどのようなことを感じ
楽しんでいるのか。
失礼なほど率直に、
質問をさせていただきながらも
自己紹介もさせてもらいました。
「今日は、美味しい料理に酒を味わわせてもらえたし、 楽しい福島の夜を過ごすことができたよ。
ありがとう。少しのお礼だけど、 地元で一番旨いと思っている辛子明太子を送らせてもらうから
お母さんと皆なで食べてよ。」
そんな心遣いと言葉を残しながら
スタッフの皆さんと
ホテルへ帰られました。
再会できた喜びと興奮の
余韻も冷めやまぬうちに
心遣いで送ってくださった
辛子明太子が届きました。
大きな一本ものの辛子明太子。
その美味しさに感動することもさることながら
ご飯に乗せた辛子明太子を、
ひとくちひとくちと噛みしめるたびに
さまざまな思いが溢れてきました。
独りよがりの勘違いであると
心の隅では思いながらも、
カンニング竹山さんとの出会いに運命を感じ
勇気と力を与えてくれる光明になっていました。
カンニング竹山さんの軌跡を遡りながら
多くを感じ取らせていただく中で
人としてお笑い芸人としての歩みや葛藤。
愛情の深さに触れていきました。
福島へ通う思いと出身地である
地元福岡県博多への愛も多く感じました。
私自身も、子どもの頃の夢は、
お笑い芸人でした。
人を笑わせ喜ばせることが好きだった。
そんなことを思い出しながら、
肌で感じたカンニング竹山さんの
人柄にあらためて思いを馳せました。
そんな日々を過ごしていくなかで、
たまたま辛子明太子のルーツが
故郷である福島県会津に
あることを知りました。
福島の地で福岡県出身の
カンニング竹山さんと出会い
知ることができた辛子明太子の魅力と歴史。
カンニング竹山さんと
辛子明太子の魅力を発信することで
地方都市である福島と福岡の架け橋になることができるんじゃない か。
故郷のことを知ってもらうキッカケづくりや
母が営む小さな店の
応援をすることができるんじゃないか。
そんなことを考えるようになりました。
散乱していた思いの
欠片と欠片が繋がった瞬間でした。
送っていただいた辛子明太子は福岡県博多で
カンニング竹山さんが贔屓にされていた
「原口海産物専門店」さん
の辛子明太子でした。
カンニング竹山さんとの出会いで感じたことや
母の店で看板メニューとして辛子明太子を取り扱いたいという思い を伝えました。
僅かな期間でしたが、
福島へ足を運んでいただき、
福岡へも遊びに行かせてもらいながら
交流をかさね
母の店で提供をさせていただける
こととなりました。
カンニング竹山さんとの偶然の出会いから
福島と福岡が縁で繋がり
母が営む屋台居酒屋
「あねさの小法師」
でも、辛子明太子を使ったメニューは
人気となりました。
その後、福島県産のハバネロを使用した
唯一無二のオリジナル明太子
「ハバネロ明太子」
を多くの方のご協力のもとに
商品開発もすることができました。
福島と福岡を繋ぐハバネロ明太子は、
母が営む屋台居酒屋
「あねさの小法師」でも
人気の看板メニューとなっていきました。
個人的なことで、照れくさい事ですが、
多くの心配と苦労をかけてきた母に
ほんの少しではあるけれど、
親孝行ができたのかな。
なんてことも
内心思ったりもしています。
カンニング竹山さんが福島へ通い、
遊び、味わい、楽しみ続けることで
感じてきた熱い思いが詰まった著書
「福島のことなんて、
誰もしらねぇじゃねぇかよ!」
その著書の中には、
「偽善かもしれないが
何かしなくちゃいけないと思ったんだよ!」
そんな言葉がありました。
自分のこともままならないままに
人の役に立ちたい、故郷の役に立ちたいという
偽善を振りかざしているだけで空回りする
独りよがりの日々でした。
ですが、
カンニング竹山さんと出会えたことで
多くの勇気と力を与えてもらいました。
震災からまもなく
11年が経とうとしている福島県です。
3月12日・19日に福島テレビにて
[カンニング竹山の福島のことなんて、
誰もしらねぇじゃねぇかよ!]
が放送されます。
(感染対策には十分に配慮した撮影です。)
(撮影時のみマスクを外しています。)
福島を歩きながら、見て、聴いて。
福島で触れ合った人々の想いを
竹山さんらしく伝えるために、
今日も福島へ足を運び、
いっぱい遊び、食べ、呑み、楽しんでいます。
福島の地で、
偶然出会うことができた竹山さんは、
ひと回り以上も歳が離れた私を
恐れ多くも友と呼んでくださいます。
そして、
折りにふれては気にかけ、
優しく接してくださいます。
福島で生まれ育ちながらも
竹山さんが発信してくれることで知ることができた故郷の真実や魅 力も多くあります。
福島の地で、
偶然訪れた小さな屋台居酒屋を
切り盛りする母の息子。
そんな偶然の出会いから
交流を続けさせていただいています。
迷いや葛藤があっても
勇気を出して一歩踏み出すことで
何かが変わり動き出す。
そんなことに、改めて、
気付かせてもらうことができました。
そして、
竹山さんの活躍を目にするたびに
多くの勇気と力を与えてもらっています。
縁もゆかりもなかったという福島を
第2の故郷と呼び、
応援をつづけてくれている竹山さん。
福島の魅力を改めて発見して
竹山さんの人柄と愛情の深さも
感じることができる。
そんな番組になっていることと思います。
本当に、小さなことですが、
私は、福島を応援する人の
応援をこれからもつづけていけたらな。
と思っています。
[カンニング竹山の福島のことなんて、 誰もしらねぇじゃねぇかよ!]
@takeyama0330